最新更新日:2024/05/20
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「笑顔いっぱい 一人ひとりが かがやく学校」

G9一斉読書『 14歳からの哲学 考えるための教科書 』(感想から)

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 私たちには、大きいものから小さいものまで、幾多の理想がある。例えば、「今日はさっさと宿題済ませて辻村深月さんの本読みたいな」も「将来は自分の生きた証が欲しいな」も自分が理想と思う未来の自身の姿であることは変わらない。そして、私はたくさんの理想に向けて何をするかを決めているので、私たちの行動のほとんどが理想を現実にするためだと言っても過言ではない。ただ、私たちは自分が常に理想と共に生きていることに気づかない。私も、今回の授業で「14歳からの哲学」を読み、その後みんなで討論するまで気づいてはいなかった。
私には、千葉にいたときから仲良しの友達がいる。私は彼女ほど自分に似ている人を知らないし、何よりすごく気が合う。彼女と私はこの間の夏に、一緒にシェアハウスしようと約束したばかりだ。その日から、私は1人で盛り上がっていて、またそのために勉強もしなければと思っている。
なぜなら、それが私が現実にしたい理想だからだ。彼女と同じ家に住んで、2人で同じ観葉植物を育て、たこ焼きパーティーもしたい。しかし、私はなぜ、「大学生になったら友達とシェアハウスをして、観葉植物に霧吹きで水をシュッシュしたい」のだろうか。
一番の理由として、私は彼女とあまり長い間一緒にいたことがないからだということが挙げられる。私たちが一緒にいたのは小学校の3年生だけで、私が九州に引っ越してしまってからは年に数回会うだけだった(それでも手紙をやりとりしたり、夏に帰省したときに十分遊んだりしていたので私はずっと彼女が大好きだが。)だから、私は彼女と一緒に住むことで、また2人で近くにいたいのだ。では、なぜ私は彼女と一緒にいたいのだろうか。それは、私が彼女といるときに幸せを感じるからだ。でも、自分に「なぜそこまで住むことに固執するのか」と問いかけてみる。確かに、一緒に住まなくても遊ぶだけで楽しいのに。それはきっと、私が彼女の家が好きだからだ。私はよく彼女のお家にお邪魔させてもらうのだが、とっても温かくて、めだかとかいっぱい飼っちゃってて、とてもセンスのある工作がいっぱいあって、じゃがいもの芽がでたら育てていて、トイレにポスターが貼ってあって、絶対にジグソーパズルをすることになる雰囲気などに、私は密かに憧れている。だから、無意識的にそんな感じのシェアハウスにしたいと思っているのかもしれない。では、なんで私は服部家みたいな家に住みたいのか、というと、私がその雰囲気に和むからだろう。それではなぜ和みたいのか、と聞かれたら、やっぱり幸せを感じたいからだ。というように、理想には大抵、複数の根拠がついている。きっと、一つの理由から理想を描く人はあまりいないのではないか。理想の根拠、つまり根本的に自分が求めているものが複数絡み合って、今の理想の形になっているのだと私は思う。しかし、理想の理由を追い求めていくと、結局幸せになりたい、という結論に落ち着く。
私が幸せを感じる時は大抵自分らしくいられる時が多い気がするが、私が幸せを感じることを望むのはなぜだろう。気分がいいから?私にとって幸せでいることは人生の一つの意味でもあるから? 私は、人は常に誰かが幸せになれる選択をしているのだと思う。どんな選択も、理想も、理想のために行う行動も、結局は幸せを掴みたいからなのかもしれない。

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